ごあいさつ
古いもの、古の時代の技術を感じさせるものが好きです。そして、そこから先に位置する私が、古い技術を生かし何が作れるのか?を追い求めています。
古い時代の鉄は、現代鉄には見られない様々な特徴を見せます。時代により、製鉄技術が異なりますから、当然、その生産物である鉄鋼・鉄鋼製品は異なってきます。
「古い鉄は良いか?」と問われれば、私は迷わず「スクラップ、屑鉄です」と返答しますが、それは「工業的に」であり、手工業技術で生み出す製品においては、現代鉄では得られない独特な風合いがそこにあります。
ただし、日本伝来のたたら製鉄で生産された鉄は、そのままではまともに鉄製品に蘇ることはありません。必ずと言って良いほど「鍛える」という作業を行わなければならないからです。
現代の工業製品として生み出される鋼・鉄において「鍛える」作業は不要です。そこにはほとんど「欠陥」がないからですが、たたらで作られる鉄鋼、および鉄製品の多くは、多くの不純物を含み、鉄の鍛錬結合上の欠陥が必ずあります。その欠陥を微細化・分散化して、欠陥を無効化し、自らが求める性質の鉄鋼へと変化させることが「和鉄における鍛える意義」となります。
そして、その過程で、「研ぎ易さ」「風合い」「構造的強度」などが得られ、結果として現代鉄には無い性質になっていきます。
現代鉄は、「大量に」「安易に」「高強度な」物を作る上で非常に優れますが、刃物は人の手のひらの上の道具ですので、人力の及ぶ範囲での強度を十分に発揮できる限りは、それ以上は必要ないと考えています。
概ね、ほとんどの刃物の原料は、工場で地金と鋼が合わせられ、圧延され、それを刃物メーカーが型抜きし、叩いて鍛造した感じの製品を作っていますが、私の作るものは、現代工業技術で生産された鉄にしろ鋼にしろ、1度自分の求める物へと鍛え合わせ、出来るだけ用途に適した物となるよう、日々研究しております。
これまでの歩み
父の家系は古く前9年の役・後3年の戦いを経て奥州藤原氏につながり、安東秋田家の軍船奉行・土崎湊代官を務め、悠久の時を北の辺境海上警護を担ってきましたが、母方の家系が秋田の鍛冶師の家系で、戦後の混乱の中でその火は途絶え、そして、奥州の舞草・月山系鍛冶の復興を願った祖父の意思を受け継いだのか、私が生まれました。
子供の頃は刀鍛冶を夢見ましたが、生活に根ざさない物作りでは過去の栄達には届かないだろうし、私には先祖たちの様な武士の心得は無く、刀を作っても到底及ばないと思い、19歳の頃から一般的な道具鍛冶師に師事するべく活動し、やがて、京都で1人の京鍛冶師に師事。10年余り修行ののち、京都の鷹峯仏谷に拠点を構え、さらなる研鑽に10年以上の月日を費やしました。
日本産の古い鉄の研究に没頭し、その先に何が作れるだろうか、試作を続け今に至ります。
鍛冶師 船木祥啓